投稿

11月, 2023の投稿を表示しています

第23回 校則を無くしたらどうなるの?

イメージ
 福岡県人権研究所の機関誌『リベラシオン』191号は「人権教育の地平」というのが大きな特集になっていて、巻頭に「人権・同和教育のこれから」という文章を書かせてもらった。ていうか、このタイトルで特集をする条件として理事長がなんか書けというのが編集担当理事からの命令であった。で、書き出したらけっこう長くなってしまい、「長すぎる」という意見もいくつか頂戴してしまった。  学校現場では人権・同和教育をやってきたベテラン教員と新採用の若手教員の間の溝が大きすぎるので、同和教育の成果が継承されていないというような意見もあるようだ。だけど、そんなことはない。すでに同和教育が始まって(福岡市長選挙差別事件〔1956年〕を起点とすれば)20年も過ぎた頃には同和教育は形骸化していたという自覚があったらしい。取り立てて誰かに責任を押しつけるわけではないが、僕が同和教育に首を突っ込んだ1990年代初めは形骸化もだいぶ進んでいたということになるが、そんなふうには感じなかった。「人権教育のための国連10年」というものが降りてきて、同和教育は人権教育という無味無色のものに取り込まれてしまうのではないかという危機感があたりを染め始めていた記憶がある。見方によれば、それだけ「同和教育」なるものには存在感があったということになる。  しかし、まもなく同和教育のある時期のリーダー的存在だった東上高志氏が1996年に『同和教育の終わり』なる本を出し、同和教育は役割を終了したかのような宣言をしていた。一方、同和教育にこだわる側とても「人権教育」を否定することはできない。かと言って、同和教育を人権教育の中に埋没させていくのは今までの努力が水泡に帰するかのような不安があったのではないかと思われる。実際僕もそう感じていた。それを引き摺ってか、僕を代表にして毎年開催している宗像エリアでの人権・同和教育の集いは宗像地区「同和」教育研究集会とカッコ付きの「同和」教育を使っている。  それはともかく、「同和」教育の歴史を振り返ってみると、先達の仕事はすばらしかった。一つ挙げてみよう。「今日も机にあの子がいない」という合言葉で学校に出てこない子どものところに通い続けた先生たちが部落差別という子どもの現実を見つけ出した。いわゆる「差別の現実に学ぶ」という原則だ。そして同和教育の大先輩である堀内忠氏は「部落差別の現実に深く学ぶ