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第20回 戦争の落とし前はつけたのか~勇気ある平和国家の志を考えよう (つづき)

 しばらくサボっていました。  理由はいろいろあります。たとえば足の指を剥離骨折したとか、2月にインド旅行に行ったとか。いいわけはいくつもあります。なんで剥離骨折なんかしたのか。簡単なことです。休呆堂の中は本だのモノだのちょうど歩く足の通る高さに罠のように待ち構えていて、一日に何回かは足の指が接触している。たまたま勢いがついてコツンとあたった指が運の悪い角度というか、タイミングというか、やっちまったという次第だ。  で、インド旅行はどんな旅行だったか、と言うと、今回は今まで行ったところに行き、特に移動もせず、なじみのホテルでゴロゴロするというだけの旅でした。ま、夜行列車=寝台列車という非日常がそれなりのお土産をくれましたが、それについては興味があれば、この 『バラナシを発つ』 というブログを見てください。 なので、特にたいしたこともないのんびりした旅行でありました。驚いたのはガンジス河畔がますます俗化していたということです。  とは言え旅の後遺症はありますね。 長旅を終へても旅が終はらない今日もぼんやり時を見てゐる   休呆  こんな感じかな。要は怠け癖がついたということ。日々撮りためたテレビドラマやら映画やらをボッと見て英気を養い続けているのです。  で、そうこうしていたら、入れ違いとは言わないけれど、インドを訪れていた岸田首相がなんと世間の眼を欺いて裏口からこそこそ出て、ウクライナに入り、ゼレンスキーと会談したのだとか。それって、日本はロシアの敵国ですよ、と宣戦布告したようなものではないだろうか。そういう緊張感を生む国際情勢に向かう姿勢が岸田流の「現実主義(リアリズム)」なのだろうか。  そんな感じで岸田文雄『核兵器のない世界へ~勇気ある平和国家の志』の第三章を読み進めよう。第三章は「核廃絶のリアリズム」。何がリアリズムかというと、核廃絶に向けて北朝鮮と、中国、ロシアの姿勢が邪魔をしているということだ。そして、「核なき世界」を表明してノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領に代わってトランプがそれをひっくり返した発言をやり出したのがもう一つの難題だという程度である。  じゃあ、日本はどうするのか、ていうより岸田は何をするのか、というとこうなる。   しかし、ベルリンでの演説の途中もオバマ大統領自身が「いくら実現が困難でも、核なき世界こそ正義のある世界だ」と口にした通

第19回 戦争の落とし前はつけたのか~勇気ある平和国家の志を考えよう

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  沖縄に行ってきました。福岡県人権研究所では海外人権スタディ・ツアーというのをずっとやってきています。韓国、ベトナム、タイなど外国に旅して人権問題を考えるという企画ツアーです。けっこう人気があり、リピーターも多いと聞いていましたが、コロナ禍で3年程お休みしていました。  コロナ・ウィルス対策政策も方向が変わり、多少の旅行は逆に推進されるようにもなってきたので、再開することにしました。とは言え、外国旅行はまだちょっと不安ということもあり、福岡から見れば「海外」ではある沖縄旅行が計画されました。で、ワタクシは大好きな沖縄ということもあり、この企画に参加することにした次第です。但し、一会員として。。。  「一会員として」と言って逃げたのは部会長さんには申し訳なかったかとも思いますが、そこはお赦しください。  沖縄には何度も言ってますし、戦跡も住民が避難していたという洞(ガマ)もけっこう見てきてはいますが、今回は人との出会いが大きかった。詳しくはツアーの報告書も作ることになっているし、ここでは触れないで起きます。ただ、今回のツアーも若い現職の方が少なかった。せっかくいい出会いがあっても、平和教育や人権教育に活用する広がりがないと次の世代に継承されないしね。  チビチリガマとシムクガマを案内してくれたのはあの知花昌一さんの息子さんだった。知花さんも戦後生まれだから、戦争を知った世代からすれば三代目になるということで、戦争体験の継承ということも大きな課題なのだろう。何度も言ってきたことだけれど、戦後78年目に入る。戦争はもはや歴史になりつつある。ただ、沖縄は歴史が米軍基地として現在に繋がっている。いい企画で、いいツアーだった。  さて、沖縄から帰ってきてほどない1月13日に訪米中の岸田首相はバイデン大統領と会談し、日米共同声明を発表した。その中でロシアについて触れた箇所がある -------------------------------------------------------------------------------------- ・・・我々は、ロシアのウクライナに対する不当かつ残虐な侵略戦争に断固として反対することで一致している。我々は、引き続きロシアに対する制裁を実施し、ウクライナに対する揺るぎない支援を提供していく。我々は、ロシアによるウクライナでのいか

第18回 入試に必要な学力とは

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 日本では学校ができたとたんに受験勉強が始まったといっても過言ではない。写真は岩崎鉄次郎編『受験必携理化学問答』(明治23年刊)と吉見経綸校閲・篠田正作纂輯『受験予備日本地理問答』(明治25年刊)という受験参考書である。明治23年といえば、ようやく日本の学校制度が整いつつあった頃である。明治19年に高等中学校という制度ができた。これは官立の第一から第五までと、山口高等中学校、鹿児島高等中学校造士館の7校であった。帝国大学は東京に一校のみ、その下の高等中学校はこの7校のみであった。  『受験予備日本地理問答』のほうは明治24年5月に出版され、その後版を重ねてこの写真のものは第6版で明治25年5月に刊行されている。あまり緊急性を感じてもいないようなのである。また、こちらにも官立学校試験問題が掲載されているが、高等中学校以外に高等商業学校、農林学校、そしてなんと大阪府尋常中学校の入試問題が載っている。当時の高等中学校はまだ本科まで十分に生徒が満たされておらず、本科の下に3カ年の予科をさらにその下に2カ年の補充科を設けていた。明治25年にはようやく補充科の募集を止めようかなというところであって、受験生は予科とか補充科を目指しての受験生であったとも考えられる。だから尋常中学校の入試問題も一緒に載っているのはそういうことなのである。  そんなことから見ても、現在の受験事情とは全く異なる情勢であったと理解してほしい。そういう事情を知った上で「理化学」の第一高等中学校の入試問題を見てみよう。 ●物体ノ地上ニ落ルハ何故ゾ(物体が地上に落ちるのはどうしてか) ●船ノ水上ニ浮フ理ハ如何(船が水に浮かぶ理由は何か) ●「ポンプ」ヲ以テ水ヲ低キ所ヨリ高キ所ニ挙ル理ハ如何(ポンプで水を低いところから高いところに汲みあげるメカニズムは何か) ●水入ニハ必ス二個ノ穴アリ其用如何(水入れには必ず二つの穴があるがそれは何のためか)  こういうのが30題近く載っている。いずれも身の回りの物理学という感じの問題だが、物理学的に説明するとなれば、なかなかたいへんだろう。物理学の考え方に熟知していなくては説明は難しいと思う。  ちなみに本文では同様の問いに対して答えが示される「問答」式になっているので、一つ二つの例を見てみよう。 ●重心と中心の区別如何(重心と中心の区別はどういうことか) 重心トハ重ノ聚ル所ニ

第17回 無批判に覚えるということ

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 おもしろい冊子がある。『学習便覧 知識の宝庫』というスマホサイズの小冊子、昭和2年の刊行だ。「物知り博士の虎の巻!」「一冊で小学全科が分る!」と銘打ってあるのが興味をそそるだろう。  で、どんな冊子なのだろうか。判型はスマホサイズ、230頁(8㎜)ほどの胸ポケットにも入りそうな本である。  内容はまず皇室〔天皇とその妻子〕、朝鮮王公族〔朝鮮を併合しているのでそういうことになる〕、その次に皇族〔秩父宮、高松宮といったおなじみの宮家の面々〕の名簿があり、その後に「はしがき」があって、この小冊子の趣旨が書いてある。 --------------------------------------------------------------------  本書は小学校尋常高等の全科目の越幾斯(エキス)であります。即ち各学科の精髄を抽き出したものですありますから、この書一冊だけあれば、小学校の各学科を一目で知ることが出来て、小学児童のために有益であるのみならず、御家庭に於て御子様方の勉強の御指導をなさるのに至極便利かと信じます。其れに本書は、特に日常生活に必要な事項を摘記してありますから、実生活にも直ちにご利用できます。・・・・・・(以下略) --------------------------------------------------------------------  構成は ○修身    ○国語    ○地理    ○国史 ○理科    ○技能    ○雑     ○算術 ○商業    ○英語 となっている。よくわからないものとして「技能」。この中身は「音楽調名」「楽譜記号の名称」「発相記号」「速度記号」「剣道の流名と流祖」「柔道乱捕の業と流名」「各種競技レコード一覧」「裁縫積り方公式」「手工の種類」となっている。  「発相記号」「速度記号」とはピアニッシモとか、カンタビレ、アンダンテとかいう音楽のナニだ。ご理解いただきたい。剣道や柔道の情報はよしとして、「各種競技」とは陸上競技と競泳の世界記録と日本記録の一覧だ。「裁縫積リ方公式」は裁縫の時の約束事みたいだ(僕にはよくわからない)。たとえば本裁肌襦袢は袖丈×2+身丈×4+衿丈=總用布というやつのようだ。  ということで、「技能」には音楽、体育、裁縫、技術などの基礎知識が並んでいる。  「雑」に書かれているのは

第16回 学校教育と受験勉強

  前回は受験勉強は個人の問題だと書いた。仲間意識だとか、共にがんばるとか、そんなことを言いたい人もいるのかもしれない。しかし、それはお友達同士で「いっしょにがんばろうね」みたいに声を掛け合う程度のなら友情の問題なのでともかく、そこに学校やら教師が介入してはいけないのだ。  なぜか。それは学校教育の目的ではないからである。この国の国民は法より因習を重んじる傾向があるので、少なくとも「日本は法治国家である」ということくらいは学校で教えてほしい。教育の目的についてはいくつかの法律に明記されている。  まずは教育基本法。  第一条に「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とある。「人格の完成」と「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成することと書いてある。どこにも上級学校への進学などは書いていない。  そして第二条には「教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。」として以下の5点の目標が掲げられている。(めんどくさければ読まなくてもいい) 一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。 二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。 四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。 五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。  「我が国と郷土を愛する」あたりに過敏に反応する人もいるかもしれないが、ワールドカップで日本が勝った時に「よしっ!」と思った人は文句を言ってはいけないし、相手国を応援した人は何か特別な理由があるのだろう。ワールドカップは国と国の対抗戦だから、どうしても参加国にとってナショナリズムは否定しにくい。ま、その程度のことである。しかし、 進学だの受験だのという

第15回 偽善者を育てる

  以前、『平和で民主的な国と社会を創る道徳教育のススメ』(福岡県教育総合研究所)という小冊子を書いたのだが、その中で天野貞祐の『道理の感覚』(1937年)の言葉を引用して、天野の修身科教育に対する批判を以下の3点に整理してみた。  ①生徒が偽善的になる  ②生徒が道徳的な価値に対して無関心になったり反抗的になる  ③道徳的価値が他人事になってしまう  なので、このことについては当該小冊子を読んでいただければいいのだが、関係者以外には手に入りにくい冊子なので、上記のように要点だけを挙げておいた。そして、天野が修身科について書いたことは、人権においてもあてはまる。人権もまたひとつの社会的価値だからである。  偽善的というのは口先では「選挙の時に投票するのは国民の権利」、「差別はいけない」し、「人権は大切」とか言ったり、試験の答案やアンケートには書くけれど、実際には選挙には行かないし、いじめはするし、人権なんてめんどくさいと思っていることだ。口ではきれいごとを言い、実際は現実的に本音で生きている。  自分のことを振り返りつつ思うのは、人間というのはどこかしら偽善的なものである。僕自身もそうだし、否定はしない。だけどもそのズレを少しでも少なくしていくことが大切なのではないだろうか。また、逆に言えばズレが大きいほど生きるのはしんどいことになる。自分にとって意味のなさそうなことを無理に覚え、それとはちがう生き方をする。しかし、その生き方に迷うた時にすがる〈知〉がない。自分にとって意味がないと思っていた受験知は根本から意味を失っているだろうからだ。本音にちかいところで生きていくのがいちばん楽だということだ。  それなら自然にいじめをしない生き方になればいい。あたりまえのこととして選挙に行くようになればいい。そういうふうに人権意識や権利意識が身についていけばいいのだが、天野貞祐が指摘したように一方的に「人権は大切」「いじめはいけない」、「選挙権は国民の権利だ、と試験の時は書いておけ」、「労働三権とは 団結権、団体交渉権、団体行動権というを覚えとけ」 といった授業のやり方では、偽善者を育てるだけだ。いじめをしない人間を育てる、選挙に行って投票する人間を育てる、就職したら労働組合に入って自分たちの権利を守る。そういうふうに学びの成果を自分の身におこなって初めて教育の成果があったという

第14回 亡国の祝詞(その2)

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   そして1年が経った。明治20年12月2日。再び福岡県会の議場である。そして、尋常中学校費の審議が行われた。福岡県の税金を使った尋常中学校は福岡尋常中学校のみではあったが、豊津では明治19年中に小笠原家から支援を得ることとして明治20年5月から諸学校通則第1条による県立尋常中学校となっていた。中学校令では地方税(県税)による県立尋常中学校は1校だけと決められていたが、資金を寄附し、管理を県に任せれば県立にしていいという都合のいい規則で、この制度を利用して自力で尋常中学校となっていたのである。そして久留米はこの豊津のやり方に倣って動いたが遅きに失した。とはいえ、なんとか有志の募金を集めて仮設久留米尋常中学校として、次の段階を睨んでいた。  そういう中で県税を使う県立尋常中学校費の審議が行われたのだ。というのが教育史研究的叙述であるが、県会では尋常中学校なるもののあり方について激論がたたかわされた。その中で豊津尋常中学校を維持している仲津郡選出の征矢野半弥(そやの・はんや)議員は長々と尋常中学校費廃止論を展開した。その第一の論点は学校観、教育観にかかわるものである。長いけれど掲げておきたい。例によって史料は飛ばして読んでかまわない。これはあくまで僕の趣味だから。 ・・・本員ハ本項六百円ノ校長給ヲ全廃セント欲ス即チ地方税ヲ以テ尋常中学校ヲ設立スルハ不可ナリトスルモノニシテ県立ヲ好マサルモノナリ其理由ヲ三段ニ分チ是レヨリ陳述スヘシ第一ハ干渉教育ハ国家ノ元気減少スルヲ以テ之ヲ全廃シテ而シテ教育ノ独立ヲ保タント欲スルニ在リ何ントナレハ現今我国ノ租税ヲ以テ支弁セル教育社会ノ有様ヲ目撃スルニ大木河野ナリ森ナリ文部省ノ長官其人ヲ更迭スル毎ニ其方針ヲ変更シ更ニ教育ノ独立ヲ見ル能ハス其ノ甚シキニ至リテハ殆ント教育ヲ以テ政略上ノ方便トナスノ観アルニ至レリ故ニ自分ハ之ヲ政事ノ範囲外ニ独立シ以テ教育家ノ専任ニ委セント欲スルナリ曽テ自由教育ノコトニ付聞シ事アリ其ハ往昔水戸弘道館設立ノ際或人カ藤田東湖ニ向テ将来ハ貴殿ノ如キ真成ナル学者ハ出サルヘシトノ話ニ東湖氏ハ訝ツヽ其ハ如何ナル理由ナリヤト問ヒシカハ該人ハ之レニ答テ 今日ノ書生ハ憚リテ政事家ノ鋳形ニ鋳込マレ居ルヲ以テ到底真ノ学者ハ出サルヘシト云ヘリ 夫レ然リ而シテ聞ク処ロニ拠レハ 加藤教頭ハ卒業免状授与式ノ際生徒ニ対シ演説シタル主旨ハ卒業ノ後