第23回 校則を無くしたらどうなるの?

 福岡県人権研究所の機関誌『リベラシオン』191号は「人権教育の地平」というのが大きな特集になっていて、巻頭に「人権・同和教育のこれから」という文章を書かせてもらった。ていうか、このタイトルで特集をする条件として理事長がなんか書けというのが編集担当理事からの命令であった。で、書き出したらけっこう長くなってしまい、「長すぎる」という意見もいくつか頂戴してしまった。
 学校現場では人権・同和教育をやってきたベテラン教員と新採用の若手教員の間の溝が大きすぎるので、同和教育の成果が継承されていないというような意見もあるようだ。だけど、そんなことはない。すでに同和教育が始まって(福岡市長選挙差別事件〔1956年〕を起点とすれば)20年も過ぎた頃には同和教育は形骸化していたという自覚があったらしい。取り立てて誰かに責任を押しつけるわけではないが、僕が同和教育に首を突っ込んだ1990年代初めは形骸化もだいぶ進んでいたということになるが、そんなふうには感じなかった。「人権教育のための国連10年」というものが降りてきて、同和教育は人権教育という無味無色のものに取り込まれてしまうのではないかという危機感があたりを染め始めていた記憶がある。見方によれば、それだけ「同和教育」なるものには存在感があったということになる。
 しかし、まもなく同和教育のある時期のリーダー的存在だった東上高志氏が1996年に『同和教育の終わり』なる本を出し、同和教育は役割を終了したかのような宣言をしていた。一方、同和教育にこだわる側とても「人権教育」を否定することはできない。かと言って、同和教育を人権教育の中に埋没させていくのは今までの努力が水泡に帰するかのような不安があったのではないかと思われる。実際僕もそう感じていた。それを引き摺ってか、僕を代表にして毎年開催している宗像エリアでの人権・同和教育の集いは宗像地区「同和」教育研究集会とカッコ付きの「同和」教育を使っている。
 それはともかく、「同和」教育の歴史を振り返ってみると、先達の仕事はすばらしかった。一つ挙げてみよう。「今日も机にあの子がいない」という合言葉で学校に出てこない子どものところに通い続けた先生たちが部落差別という子どもの現実を見つけ出した。いわゆる「差別の現実に学ぶ」という原則だ。そして同和教育の大先輩である堀内忠氏は「部落差別の現実に深く学ぶということは、学校現場の教師たちが、今までの学校教育という概念を完全に打ち砕いて、再度教育を考え直すことではないのだろうか」とかつて『リベラシオン』の前身誌である『部落解放史ふくおか』に書いていたことに行きあたった。
 それで、だ。先般、とあるところでこの文章を下敷きにした話をした。“校則をやめるのは簡単だ。校長の一言で廃止していいことになっている。だから、廃止しようよ”、みたいなことを話した。そうしたら、そういう人権・同和教育はハードルが高い、校則を廃止したらどうなるものかもっと聞きたいという感想をもらった。
 それはとても正直な問いだろうと思う。校則をやめればどうなるか。簡単なことだ。何のルールもなく子どもと向き合わなくてはならない。それはそんなにたいへんなことではない。教師も校則から自由になり、子どもを子どもとして見ることができるだろう。たとえば、外国に行ってそこで子どもたちと出会い、何かを教える羽目になったとしよう。共通の校則も法律すらそこにはない。道徳も倫理観も国家も宗教も、すべて自分と共通するものがない子どもたちだ。まずはその子どもたちがどういう言葉を話し、なにを考え、どういう倫理観をもち、どんな家族がいて、どういう暮らしをしているか、そんなことをすべて子どもから学ばないといけないだろう。そこに教師である自分の絶対性なんてまったく存在しない。子どもたちから学ぶしかない。そこから始めて、お互いが学びに必要な人間関係をそこで作るしかない。校則がないということはそういうことだ。
 校則を廃止すれば、教師と子どもたちの関係を0から作ることができる。教師にしてみればよけいな柵(しがらみ)がないから子ども一人一人と自分の関係を人間と人間のあたりまえの関係として作っていくことができる。そして教師と児童・生徒という学校内の人間関係関係を0から作ることができる。
 もう30年も前のことだったか。中学校で、丸刈りという頭髪規制が廃され、長髪を認めるようになった頃、とある校長先生が「長髪を認めるようになったら何が起きるかと不安でした」と実に正直に呟いた。もちろん何も起きはしなかったのだが、そんなものだ。髪の毛の長さの指導に神経を使っていたことは子どもたちに何を学ばせることだったのだろうか。校則も同じことだ。
 たまたま、11月26日の朝日新聞にこんな記事が載っていた。

 不登校の理由を文部科学省が学校側に問うた結果と、NPO団体が保護者に問うた結果とがまったく違っているというのだ。学校は第一の理由を「無気力、不安」と回答しており、保護者は「先生との関係」を挙げている。なんてことはない。「教師が嫌いだ」と言っている子どもを教師は「やる気がない」と思い込み、不登校を子どもの所為にしているにすぎない。校則をはじめ、学校の気持ちの悪い空気が子どもを不登校に追いやっているのだ。
 朝日新聞はやさしいから「先生の多忙さと関係」などと分析したような書き方をしているが、どこにもそんなデータは出ていない。先生が嫌い(第1位)で、学校の雰囲気がきらい(第2位)と子どもたちは言っているのだ。それでもストーカーのように校則や学校の論理を盾に子どもを追い詰めるか、「それなら、フリースクールに行けば・・・」と見捨ててしまっているのではないか。他の人間関係と同じで、まずは教師と学校が変わらなければ子どもたちは戻ってこない。だって不登校の子どもたちは「居場所がない」と言っているのだから、学校が子どもたちにとって居心地のいい場所に変わらないとならないのは自明のことなのに、学校はどんどん居心地の悪いところになっている、ということだな。
  〈今日も机にあの子がいない〉
 今も同じことが起きている。
 この状況を変えるのがこれからの人権・同和教育なのだ。










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