第12回 戦争をしない決意とは……
ウクライナの戦争はまだ終わらない。なぜ終わらないのだろうか。今朝のテレビで誰かが言ってた。「ロシアから始めた戦争だから、ロシアがやめなければ終わらない」って。確かにそうだろう。かつての日中戦争と同じだ。仕掛けた方がやめなければ終わらない。仕掛けられた方がやめるというのは全面的に降伏することだからだ。だから戦争はやってはいけないのだ。 ちょいと前に友人がSNSでぼやいていた。学生時代の仲間との宴席で、ウクライナの戦争に話題が及んだ。みんながみんなロシアを悪者にし、ロシアの敗北を求め、さらには「ロシアが北海道に攻めてきたらオレは銃を取って戦う」などとほざくので、「ロシアもウクライナも、誰も死んで欲しくない」と主張した彼は非難され、友だちをなくして帰ってきたそうだ。 これが平和憲法を戴く日本の現状だ。戦争放棄の理念は全くと言っていいほど形骸化したということではないか。「戦争はしたくない」と言えば友だちを失う。そんな社会になってしまったのはなぜだろう。もしかして、戦後行われてきた平和教育に問題はないのだろうか。 日本国憲法第9条の戦争放棄はアメリカからの押し付けだから改正すべきだという意見を言う人はいる。故安倍元首相はそういう考えで経験を動かしてきた。彼が教育基本法を全面改定したのはそういう路線の上でのことである。しかし、それはちがうようだ。 幣原喜重郎(1872~1951)という人物をご存知だろう。ポツダム宣言を受諾して日本の敗戦を決定した鈴木貫太郎内閣は昭和20年8月17日に総辞職し、これを皇族であった東久邇宮稔彦王が首班となって引き継ぎ初の皇族内閣を作ったものの二ヶ月も経たない10月9日に総辞職した。その後に総理大臣となったのが幣原喜重郎である。幣原内閣は翌昭和21年5月22日までと短期間ではあったが、吉田茂内閣が成立するまでの間戦後の改革の基礎作りをした。日本国憲法の草案を作成した内閣と言ってもいいだろう。ちなみに幣原は吉田内閣では国務大臣、その後衆議院議長に就任している。 この幣原喜重郎衆議院議長の秘書官をしていた平野三郎衆議院議員(1912~1994)が1951年2月に幣原から聞き取った話が平野文書として残っている★。この聞き取りは1951年の2月の終わり頃におこなわれた。そして、3月10日に心筋梗塞で急逝した。聞き取り当初幣原は平野に対し...