第22回 『破戒』を見よう

  昨年、60年ぶりで島崎藤村の『破戒』が映画化された。全国水平社百周年を記念しての制作であり、昨年の3月3日、全国水平社創設の地である京都の元岡崎公会堂での記念式典で上映されたのを見た。ついで、一般公開に際して、人権研究所が販売したチケットを購入して家族と見に行った。そうしたら突然、宗像市から市が人権映画として上映するので解説をしてくれという話が舞い込んだ。そういうわけで当実用に作ったのが次の文章だ。

 で、ここに書かなかったことから。映画では主人公の瀬川丑松は何年生の担任だったか。映画を見る限り、現在の小学校高学年程度に見えたのではないかと思う。時代設定は1904(明治37)年である。学校制度としては尋常科4年高等科4年であり、尋常科4年が義務教育であった。そして高等科4年卒業後中学校に進むという制度だった。しかし、明治40年から義務教育は6年に延長され、尋常科6年(義務教育)と高等科2年で、尋常科6年卒業後中学校進学ということになり、高等科はいわゆる袋小路の課程となって、中学校進学を予定しないコースとなった。
 原作ではこの小学校は尋常高等小学校であって、瀬川丑松は高等科4年の担任である。なので、あの子どもたちに出自を告白する場面で、
「皆さんも最早十五六――満更世情を知らないといふ年でも有ません。何卒私のいふことを克く記臆えて置いて下さい。」
と丑松に言わしめている。高等科4年は現在で言えば、中学二年生である。当時は一般的に数え年でいうので、4月に高等科2年に進級したのはその年の正月に数え年15歳になった子どもである(早生まれは14歳)。
 丑松の告白は12月のことであり、「最早十五六」と言ったのはまもなく十五六になるぞ、という意味である。「最早」には「もう」とルビが振ってあるのはそういうことだ。そのくらいのオトナなので、丑松は深刻な自分の出自問題を告白することにしたのである。
映画を見るときは丑松が担任する子どもたちを現在の中学2年の少年であることと、当時のこの年齢の少年たちは今の子どもたちよりもオトナであったことも踏まえた上で見てほしい。それはともかく上述の解説文に書いておいたのだが、藤村の『破戒』はしばしば誹謗の対象とされてきた。『水平新聞』掲載の「第一五回大会報告」に井元麟之による緊急動議が掲載されている。

・・・・この作品は(『破戒』)、申す迄もなく部落問題を取扱ひ、しかも解放思想と理解に充ちあふれたものである。・・・・それにも拘はらず、水平社名を悪用する全水とは何等関係なき関東水平社(本年夏頃解消)の無頼漢共が、著者並に新潮社を恐喝する等のことがあって、遂に絶版を已むなくせしめられていた(昭和四年以来)。

 という事情を説明した上で、「『破戒』の再版支持を本大会の名によって決議して戴きたい」と訴え、この動議を満場一致で可決している。
 そうして1954年に筑摩書房から『破戒』が復刊されたことに対して部落解放全国委員会は「藤村の被圧迫部落民に対する差別観の故に、『破戒』が差別小説の域を決して脱していない」という声明を出している※。どういう議論の末にそういう声明を出したのかはわからない。 
 また大きかったのは野間宏が岩波文庫版の『破戒』に附した解説「『破戒』について」である。野間宏氏は『破戒』の中に登場する猪子廉太郎の「いくらわれわれが無知な卑しい者だからと言って、踏みつけられるにもほどがある」という小説内の発言を捉えて「廉太郎さえが部落民を卑しい者として認めている」と決めつけ、それを藤村の差別意識とした。さらに「テキサスへ新天地を求めるなどというのは、逃げていくことを示すものにほかならない」といわゆる丑松主義を破堤して批判した。僕らも差別を逃れて外国に逃げるのを丑松主義という敗北主義だと誰に言われたか思い込んでいた。
 しかし、実際に『破戒』を読み通してみると、水平社結成の18年前の状況を無視して揚げ足を取る批判(非難)、それも小説中の登場人物の発言を批判するなんぞ文学を文学としてみていない批判でしかない。差別があたりまえのようになされていた時代には差別発言もあたりまえのようになされており、それをそのまま描くことはむしろ差別に対する最も先鋭な告発である。
 歴史と現在の間には時間差がある。現在の物差しで言葉の断片を非難するのは簡単だが、歴史の中に差別は溢れている。それをかくすことは決して正しいことではない。そのときその差別にその時代の人はどのように向かったのか。決して今思うような闘いではない。しかし、その時代に差別に対して闘った人の闘いは実はすごい。
 丑松が敬愛した猪子廉太郎は「我は穢多なり」「されど、我は穢多を恥じず」と宣言する。水平社宣言の18年前である。その藤村の思想性の高さを言葉尻を捉えて非難するようなことはやっぱりよくない。文学は文学であるが故に毒も孕む。作品中では差別的表現は当然出るだろう。いや、毒を毒として描かなければ文学ではない。先に紹介した猪子廉太郎の言葉は猪子廉太郎がそのように考えていたのではなく、そのように高柳ら世間が見ているという意味の表現である。猪子廉太郎は何冊も著書を公刊している思想家である。そういう自分を「無知」と思っているはずはあるまい。野間宏の誤読でしかない。
 そういう差別コードへのへつらいのないところが『破戒』が人権啓発映画とは異なるところだ。なので、僕は「解説」の中で『破戒』は人権啓発映画ではなく、文芸映画であり、楽しんでほしいと書いた。
この文章を読んでいる方々にも是非『破戒』を楽しんでもらいたいと思う。







※灘本昌久「瀬川丑松、テキサスへ行かず―『破戒』のキーワード「隠す」と「引き受ける」について―(上)『こぺる』1996年7月号 が興味深い考察をしている。是非とも読んでほしい。本文はネット上でも読むことができる。
https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199607.htm



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