第1回 戦争は戦争に似ている

  ウクライナにロシアが攻め入っている。国際世論も国内世論もロシアの非道を非難しているが、正義漢面しているアメリカも、ドイツも、日本も、そんなことは言えないはずだ。なぜならまったく同じ構図の中で、同じように他国に攻め入った歴史をこれらの国は持っているからだ。
 つまり、ロシアにも自国民に対するいいわけとしての正論はあるわけで、だからロシアの世論調査ではプーチンの支持率は80%を超えているのは当然のことなのだろう。外側から見れば馬鹿げたことも当事者にとっては至極まっとうに思えるのが世論というものの性質だ。
 次の文は昭和13年1月の『福岡県教育』に掲載された「年頭言」の中の一節だ。古い文体なので読みにくいかもしれないが、そこは少しがんばって読んでほしい。

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  今や支那膺懲の皇軍の武威は朔北江南を席巻し其戦績燦然たるものがある。然るに政権は今に至るも反省改過の状なく不相変長期抗を宣言してゐる。帝国は一大鉄槌を下して所期の目的を達成せねばならない。
  惟ふに日満支三国の提携協力を以て東亜安定の枢軸とし惹いて世界平和の基礎を確定せんとするは、夙に聖慮の存する所であつて、帝国不動の信念である。不日御前会議が開かれて対支重要政策(政戦)の方途を、中外に声明せられんとするやの報道あるは、まさに必然の勢である。       
              ※膺懲;敵に大打撃を与え、二度と戦争が出来ないようにこらしめること。
              ※朔北江南;朔北も江南も中国の特定の地域を指す呼び方

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 固有名詞を入れ替えてみよう。

②ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ●今やウクライナ膺懲のロシア軍の武威はマリウポリを席巻し其戦績燦然たるものがある。然るにゼレンスキー政権は今に至るも反省改過の状なく不相変長期抗ロシアを宣言してゐる。ロシアは一大鉄槌を下して所期の目的を達成せねばならない。
  惟ふにロシア・ベラルーシ・ウクライナ三国の提携協力を以てCIS安定の枢軸とし惹いて世界平和の基礎を確定せんとするは、夙にプーチン大統領のお考えの存する所であつて、大ロシア不動の信念である。不日安全保障会議が開かれて対ウクライナ重要政策(政戦)の方途を、中外に声明せられんとするやの報道あるは、まさに必然の勢である。

             ※安全保障会議;国家安全保障問題を協議するためのロシア連邦大統領の直属機関

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 固有名詞を入れ替えても完璧に意味が通じるのがわかるだろう。つまり日中戦争もロシアのウクライナ侵攻もまったく同じ構造であることがわかる。膺懲、即ち相手国の何を懲らしめるのかの内容は異なるが、いずれも相手国内に入り込んで起こしている戦争であることは変わらない。
 これから各地での空襲や沖縄戦、原爆、敗戦などを素材に平和教育が行われるだろう。しかし、いま、それらの史実と同じことが今、ウクライナで起きているのである。平和教育がリアリティを以て子どもたちに染み込むとすれば、このリアリティをおいて他にあるまい。 戦後、私たちは自らの犯した戦争の罪を教材として平和教育を行ってきた。しかし、事実は時間が経てば史実になり、風化すれば歴史に埋もれていく。実感のない昔話として子どもたちの眼に見えてしまう。それは教師の側も同じだ。同じ教材を毎年使い回しているうちに10年が過ぎ、20年が過ぎる。原爆の記憶を「あれからもう30年」と書かれた教材を70年後に使っていたのを見たことがある。使い回してきた教師も無自覚に使い回すとそういうことに気づかなくなってしまうものだ。
 そうしたマンネリを打破するのは今と過去を繋ぐ認識しかない。今、ウクライナに対してどうするか、ということを日本の経験を通して子どもたちが考えなくてはならない。平和教育は知識や考えの学びではなく、今とこれからを考えることなのだ。日本の戦争の経験から今、ロシアのウクライナ侵攻について考えること。これからの世界平和について考えること。さあ、恒例の平和教育の季節が近づいてきた。あなたはどうする?

 

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