第2回 戦争への道は相変わらずここにある

 

 前回、「戦争は戦争に似ている」と指摘したのだが、数日後の報道でヒトラー、ムッソリーニと並べて昭和天皇の写真を載せた動画がウクライナ政府筋のTwitterで流されたというニュースが報じられた。日本政府は遺憾の意を表明し、ウクライナ政府は謝罪して削除したということだ。その動画の趣旨は「ファシズムに負けない」だったということだ。
 確かにヒトラーもムッソリーニも敗戦の過程で亡くなっている(ややこしい経緯は省略する)。しかし、昭和天皇は戦争を終結させ、戦後40年近く国民の象徴という役割を果たした。ある意味で戦後の民主主義のなかでも国民に愛された存在だったということになるだろう。
 とは言え、ヒトラーやムッソリーニと並べられるのは聯合国側の国民から見れば、同列に見えても仕方のないことだし、その当時(日本の敗戦まで)はそう見えたことはまちがいない。帝国臣民にとっても天皇は絶対的存在であり、そのように機能していたこともまちがいはあるまい。戦後という時代を経て、また戦前・戦中の天皇の発言などが知られるようになって、天皇が日本を戦争に導いた独裁者ではなかったというのは明らかになりつつある。では誰が日本を戦争に導き数多の「敵国人」を殺害し、数多の「帝国臣民」を死に追いやった指導者だったのか。枢軸国の一つとしての大日本帝国はヒトラーやムッソリーニのようなわかりやすい独裁者の姿は見えない。
 丸山眞男の『現代政治の思想と行動』(未来社 1956)は僕が学生の時に読んで衝撃を受けた書物である。何で衝撃を受けたかというと、丸山は戦犯とされた人たちの発言を分析する中で、「日本ファシズムの矮小性」について論じている。
 一つは「既成事実への屈服」である。それはたとえば大島浩陸軍中将・元駐独大使が「あなたは中日事変に賛成だったか反対だったか」という問いに対して「反対とか賛成とかいうことは起こってしまったことでありますから」と自分は判断しなかったと弁明していたことを挙げている。丸山は大島浩が「三国同盟でも最もイニシアティヴをとった一人」であるにもかかわらず、「自ら現実(中日事変)をつくり出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論に寄りかかろうとする態度」を示していることを指摘している。
 天皇の側近であった木戸幸一も三国同盟について「私個人としては、この同盟に反対でありました」と言いつつ、「現実の問題としてはこれを絶対に拒否することは困難だと思います」と答え、太平洋戦争開戦時の外務大臣であった東郷茂徳も、三国同盟について外務大臣の時の考えを「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります。・・・一旦既成事実になった以上は、これを変えることは甚だ簡単ではありません」というように国民から見れば無責任な弁明をしているのだが、こういう言い方が「既成事実への屈服」である。
 もう一つは「権限への逃避」だ。これは自分には法的にそういう権限はなかったと弁解するやつ。たとえば南京事件の責任者であった松井石根元陸軍大将は中支方面軍の司令官として部下の各軍の作戦指揮権はあるが、「その(部下の-新谷注)各軍の内部の軍隊の軍紀、風紀を直接監督する責任はもっておりませんでした。」と言い、各軍に軍法会議を開催するように命令することについても「命令すべき法規上の権限はありません」と答え、挙げ句の果てには「全般の指揮官として、部下の軍司令官、師団長にそれを希望するよりほかに、権限はありません」と逃げている。
 丸山眞男の分析するところによれば、あの国家非常時の日本の指導者たちはいずれも自分に責任があったとは(たぶん真面目に)思ってはいなかったらしいのである。で、彼らが無責任だったと一方的に非難することもできないだろう。なぜなら、われわれもまた同じような行動様式をとっているからだ。
 「だってそうなんだから仕方がない」「文句を言ってもしょうがない。それより仕事をかたづけよう」「それは自分の権限ではない」「それはあなたが自分の意思でやったことでしょう」(と言う管理職)などの言葉はどこかで聞いたことはないだろうか。もっと具体的に言えば、「だって隣の学校が朝練(補習、残業その他なんでもいい)やっているんだから、ウチもやめられない」とか、「一生懸命に部活の指導(学力テスト対策、受験偏重、その他諸々)をしているのは先生たちで私は命じていない」みたいなのが私たちの考える文化では年ないか。それは丸山眞男が『現代政治の思想と行動』を書いてから何十年も経っているのだが、変わっていないような気がする。
 平和教育はそうした私たちのものの考え方から変えていかないとならない。起きてしまったことはしかたないし、自分には何もできないし、戦争をやめろとは言えない(まちがいをまちがいと言えない)生き方を繰り返すことになる。当然、日本という国家に危機が来た時にそれを止める気持ちを国民が持てないことになる。いや、言葉をまちがえた。「国家に危機が来る」などという既成事実を認めるような表現ではなく、国家に危機が来ないように今するべきことを考えられるようにするのが平和教育の目的ではないのか。

 そう言えば、今日は沖縄デーであり、ムッソリーニが処刑された日だった。

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