第3回  感謝、感激、感動を超えて

 欧州各国では戦勝記念日というのがある。ナチス・ドイツが無条件降伏の署名をした日ということである。調印式は1945年5月8日から9日の深夜に行われ、ヨーロッパ時間で8日、モスクワ時間で9日ということらしい。5月9日の戦勝記念日にロシアがウクライナに対してどういう動きを示すかで関心を集めている。日本では逆に終戦記念日となっているのだが、戦勝国と敗戦国では捉え方は異なるかもしれない。
 それはともかく現在のロシアでは戦勝記念日を機に国家的国民的戦意高揚をはかろうとしている。それが今の日本から見れば、もう少し棘のある言い方で言うと、メディアの報ずる国際世論に乗っかってロシアを非難している日本から見れば、どう見えるのだろうか。愚かしい、狂信的で偏狭な愛国者に見えるのではないだろうか。
 昭和12(1937)年7月7日、日本軍は盧溝橋事件を機に中国に進出し、12月には南京を陥落させた。後にその歴史を隠したがる人たち、というか、都合よく考えたがる人たち(歴史修正主義者という)は日本の正当性を主張し、南京では何も残虐なことは起きなかったと言い張っているのだが、そういうことは知っているだろう。
 第1回に引用した『福岡県教育』1月号に載っている記事に宗像中学校の教師が寄稿した文章がある。「非常時農村の秋(とき)」と題するエッセイだ。

 国民精神総動員は実施せられた「一旦緩急アレハ義勇公に奉シ天壌無窮の皇運を扶翼」すべき時が来た、今や皇国真の非常時の秋である。歓呼の声に送られて、忠勇無双の我兵は、今ぞ出で立つ父母の国。(「 」の中のひらかな、カタカナが混在しているが、原文のまま)

 と勇ましい書き出しで始まる。教育勅語の一節を叮嚀に引用できなかつたところを責めるつもりはないが、 日中戦争が始まった翌年年頭の国民意識の高揚感が漲っている。この状況が現在のロシアとよく似ているところは第1回で示したとおりである。
 で、この文章は著者の勤務する宗像中学校の生徒が郡内の出征農家稲刈りの労働奉仕作業をしたことの報告である。
 この頃、宗像での応召は数百人に達しており、「大事な一人男あり、無くてはならぬ働き盛りの青年あり、後に残り山田を守るは、老ひたる父母と、いたいけな小児とのみの家庭も数多ある」というなかで11月11日(木)~13日(土)の3日間、校長以下職員生徒総動員で稲刈りの奉仕に出たということである。
 この教師はこの奉仕活動中に出会った村人たちの声を掲載している。

〔南郷村の老人〕「何と御礼を言ってよいやらわかりません。」と「老いの眼に涙しての感謝、感激」をしていた。

〔光岡の青年〕「・・・中学校までこうしてくださり、何と御礼を申していいかわかりません。私も召集令状を待っている身ですが、こうしてくださるのを見て、応召されたらすぐに戦場に飛び、身は一片の肉片となるも決して心残りはありません」と「すでに召集令状を握ったかのような面持ちで感激」していた。

〔一人息子が出征し、老母と嫁で田をなんとかしなくてはならない野坂区のお婆さん〕「ほんとうにおありがとうございます」と「眼には涙を浮かべて心の奥底からの感謝」をしていたということで、「昨日は小学校の生徒さんが15人も加勢に来てくれ、、明日は中学の生徒さんが来てくれるという。ありがたくて涙が止まらず、眠れなかった。早速息子に手紙を書いて送った。たいそう皆さまから助けてもらっている。だから心配しなくていい、と。息子がこの手紙を読んだら命を捨てて働くでしょう。たとえ戦死したとしても・・・」と「女の常とは言いながら感極まって、その場にわっと泣き伏した」ということである。

〔野坂区の区長〕は「男の眼に涙をぽろりとと流した」ということで、筆者は「実に何とも言い得ない感激に打たれて、ただ眼頭が熱くなった」と言う。

 たいせつな家族を戦争にとられた気持ちは現在の私たちには想像がつかない。しかし、ロシアの現実を重ね合わせながら見てほしい。まさに刈り入れ時に一家の働き手を戦場へ連れ去ったのは国家である。一方で米作は国家の基礎である。それを「奉仕」に委ねることで凌ごうとしたのが勤労奉仕であった。
  この教師はこの奉仕活動を「感謝、感激」という感動で通して書き、以下のようにまとめている。

 「世に感謝ほど偉大なるものはない、世に感激ほど偉大なる結果を生むものはない、今や宗像の天地は感激の坩堝(るつぼ)だ! 銃後の者は、老いも若きも戦場の人に感謝し、応召の家の人はこの銃後の赤誠を感謝する。実に互いの感謝と感謝であり、真心と真心との接触である。そこに億兆一心があるのだ、これが非常時皇国の真の姿であろう、われら大和民族は太古より常にこうして皇国を護ってきたのだ。」

 「感謝、感激」という言葉によっていろいろなものが隠されてしまっているのに気づいただろうか。今、私たちはロシアとウクライナの戦争を他人事のように見ている。しかし、当事者であるウクライナとロシアの国民はそうは考えていない。そして私たちもかつて戦争の当事者であったとき、「感謝、感激」という感動の高ぶりの中で戦争を支持し、盛り立てていたのだ。
 日本の中国進出や真珠湾攻撃に大義があると当時の日本国民、もとい帝国臣民はそう思っていた。当然のことだが、悪意だけで戦争なんてものは起こせない。何らかの大義がなければ兵士も国民を生命や生活を棄ててまで戦ってはくれないし、感謝も感激もしてはくれない。しかし、その大義が第三者から見れば大義には思えないことがわかる。なぜなら、他人事で今の戦争を見ている私たちは一日も早くこの戦争が終わってほしいと願っているからである。どんな大義があろうと、それより一人一人のいのちが大切ではないかと私たちは第三者だから願っているのはそういうことだ。
 前述の文章の最後に「一読泣かされました(編者)」と編集者が書き込んでいる。そうした感動は生命、生活という人間の本質から眼を逸らさせる。そして、「一旦緩急アレハ」という文脈の中に理屈抜きに人々を動員していくものなのである。
 だから、いまこそ、感謝、感激、そして感動に負けない平和教育を考えなければならない秋(とき)なのではないだろうか。

 さて、ロシアでは戦勝記念日をどういう感動で迎えるのだろうか。そして、ヨーロッパ諸国民も。。。


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