第6回 鬱憤はゲンコツで

 一方で、この頃(明治20年頃)、いわゆる自由民権運動の壮士たちによる演歌というものが登場してきた。川上音二郎の『オッペケペー節』なんかは聞いたことがあるだろう。これは生音が残っている。僕はCDも持っている。ま、多くの人は聞いたといっても、そういうものがあると聞いた程度で、曲自体は聞いていないのかもしれないけれど、それはそれでいいとしよう。で、そういう中から添田唖蝉坊という演歌師が登場する。たとえば明治25年、添田唖蝉坊20歳の時に作られたとされる『拳骨武士』(「武士」は「節」であったり、「武志」と書かれたりもした)は不平等条約改正がままならないことへの憤りを歌っている。

               ※文中の青い文字をクリックすると参考資料が出ます。

●力揃えば踏石さへも 上げてゆるがす ゲンコツ 霜柱
  ドクシンロ フツエーベー シッケイキワマルゲンコツバイ
●早くたがひに覚悟をきめて 確乎(しかと)条約 ゲンコツ 結ばんせ
  ドクシンロ フツエーベー シッケイキワマルゲンコツバイ 
●芸者狂ひが能ではないよ 国の安危を、 ゲンコツ、 議すがよい
  ドクシンロ フツエーベー シッケイキワマルゲンコツバイ

♪♪他の歌詞は著作権上省略。youtubeで聴いてくださいな。

 ※歌詞は添田知道『演歌の明治大正史』〔添田唖蝉坊・添田知道著作集Ⅳ〕より抜粋

 この「ドクシンロ フツエーベー シッケイキワマルゲンコツバイ」というリフレインは唖蝉坊によれば「独清露仏英米どいつもこいつもオレを馬鹿にしてゐやがる、畜生メ、と言つたところである」(添田唖蝉坊『流行歌・明治大正史』〔添田唖蝉坊・添田知道著作集別巻〕)という言わば憎まれ口である。
 聴いてみたい人はこの『拳骨武士』をクリックするといい。土取利行の名演が聴ける。
 土取利行は若い頃はフリージャズで名をなしたミュージシャンであったが、「連れ合い」であった桃山晴江が添田唖蝉坊の息子添田知道の弟子であったことを機に桃山晴江亡き後添田唖蝉坊演歌の継承に力を入れるようになったんだと(鎌田慧・土取利行『軟骨的抵抗者 演歌の祖・添田唖蝉坊を語る』金曜日)。
 で、土取利行によれば、「彼(添田唖蝉坊)はそこで従来の壮士たちの慷慨悲憤をぶちまける怒鳴り演歌ではなく、市井の民衆の心に沁み入る風刺、諧謔に満ちた歌を多く作り出し、為政者への強力な抗議メッセージとした。そこで民衆の心を唄で掴むために、日本人に馴染み深い『三味線調』の節や調べを取り入れた替歌を作曲術の一つと」したそうである(土取利行「いま、なぜ演歌なのか」CD『明治大正演歌二代 添田唖蝉坊・知道 を演歌する』のジャケット所収解説文)。
 この「拳骨武士」は当時の庶民の素朴なナショナリズムをくすぐる唄であった。条約改正がままならぬ中で近代国家としての矜恃を持ちたかった素朴な国民のいらだちであった。同時にそれは芸者狂いにうつつをぬかす政治家を揶揄する唄でもあったのである。
 で、だ。『拳骨武士』はちょっとしたナショナリズムを主張しているけれど、それは菟道春千代のような天皇制の思想を歌いあげるものではなく、「なんかむかつくな」という庶民的心情の吐露である。現在で言えば日米地位協定で米軍が日本の国土を恣(ほしいまま)にしている現実に対する憤りのようなものだと考えたらいい。愛国心はけしからん、などという次元の低い話ではない。
 なので、添田唖蝉坊の演歌は権力批判、社会批判、旧道徳批判に傾斜していく。ま、この後ぼちぼち紹介していきたいのだけれど、前回は教育勅語を唱歌で広めようとした菟道春千代が芸娼妓への差別に憤りを示した。それに比べるわけではないが、添田唖蝉坊は働く女性についてこんな歌を作った。題して「職業婦人の歌」である。大正11(1922)年全国水平社設立の年の作品だ。社会運動が高揚し、いろいろな人権についても少しは考えが進み始めた頃と言っていい。タイピストをはじめとする職業婦人の立場で働く女性の自負を歌ったものだ。その中に女教員を歌った歌詞がある。

♪♪

 妾ァ小学校の女教員よ女教員

     (合唱)「女教員」

 いやな男の稼ぎをあてに   貧乏世帯の苦労などせずに
 人の子わが子の差別(けじめ)もせずに
 女子(おなご)の義務(つとめ)もつくしてゆける

    (合唱)「男たよってゐる女子には  こんな気持ちは サ わかるまい」

 ※歌詞は添田知道『演歌の明治大正史』〔添田唖蝉坊・添田知道著作集Ⅳ〕より抜粋

 実際には、女教員の給与は男教員よりだいぶ安かったらしいが、それでも男の稼ぎをあてにせずに子どもを育てられたということかな。この歌はタイピスト、電話交換手、看護婦(看護師ではない)、カフェの女給(今で言えば、ウェイトレスとホステスの間くらいかな)といった当時新たに登場した女性限定の職業や、男と共に肉体労働をする人夫(にんぷ)なんかも詠み込まれている。

 カフェの女給は震災後は現在で言うホステスのような接客業の色彩が強くなったが、明治のカフェは文字通り珈琲を飲ませる店であり、大正期には「『カフェーの女』は、新東京に無くてはならぬ景物の一つであると共に、婦人問題の一つに加ふべき新階級である」(松崎天民『恋と名と金と』弘学館書店 大正4年)という新しい女性であり、やがては「派手なメリンスの帯をお太鼓に締め、純白な前掛をかけて、牛酪(バタ)臭い香をさせながら、客と料理場との間を活溌に飛び廻って居る現代の女が、所謂カフェーの女である」(よぼ六『女罵倒録』三星社 大正9年)と称されるようになった。当時のもっとも新しい職業と考えられる。
 人夫もまたそれまでの女の常識から外れた職業であったにちがいない。添田唖蝉坊は新たに開拓されてきた女性の職業とそうした職業に就いて活躍する女性たちのスタンスで「男たよってゐる女子には  こんな気持ちは サ わかるまい」と相変わらず男に頼って生きている女たちをに誇らしげに自分語りをさせていたのだ。
 「拳骨武士」の素朴なナショナリズムは大正期に解放という言葉を知った女性たちの立場から旧道徳、旧社会観を笑い飛ばしたのである。もちろん、現代のジェンダー平等の思想からすればまだまだと言う人はいるかもしれない。しかし、現代でもここに至っていない人は多いのではないですか。それは女性差別だけではないですね。

 そうそうちょうど100年前の歌ですよ。

 で、この「職業婦人の歌」はやはり女性が歌う方がいいかもしれない。そいつがこちらの「職業婦人の歌」。女給の歌詞はこちらで聴ける。松田美緒さんが土取利行の三味線に載せて歌っている。ちょっとジャズも入っていて、楽しむにはいいかも。添田唖蝉坊の演歌の精神から言えば、今風の歌詞をどんどん替え歌で取り込んで歌うのが正しい歌い方だ。自分の仕事を読み込んでいいし、女教員を書き換えてもいい。三味線が弾ければ楽しめるけれどギターなんかじゃできないのかな、音痴の僕には無理だけど。



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