第9回 戦争は人を憎むことから始めよう

  そして10年の時が経ち、日本は再び戦争の時を迎えた。日露戦争だ。唖蝉坊は大阪に向かう途中のどこかで子どもたちが「ロチャコイロチャコイ」と廻らない舌で囃しているのに出会い、それが節めいているので、「ロシャコイ節」を思いついたという。

 東洋平和に害ありなどゝ  無理な理屈をつけをった  ロシャコイロシャコイ

 一天四海をわが物顔に  無礼極まる青目玉  ロシャコイロシャコイ

 こんな調子である。やはり庶民的ナショナリズムそのものである。そして、そういうナショナリズムについて、「戦争になると、これは日本人の悪い癖だが、相手の下等な悪口をいふ。日清戦争の時のチャンチャン坊主式に、露助、青目玉、その他様々の言葉が飛んだ。その調子に乗った感じもあって、いささか慚愧の至りだが、私もそんな風な歌を逐次作った。」(添田唖蝉坊『唖蝉坊流生記』)といくばくかの後悔を含めて述懐している。

 以前『地理教育 鉄道唱歌』の話をちょっとだけ書いたことがある(『校則なんて大嫌い! 学校文化史のおきみやげ』福岡県人権研究所 42頁)。おさらいになるけれど、初めて見る人の方が多いだろうから(残念なことに)ちょいと説明をしておく。いわゆる「鉄道唱歌」としてよく知られた曲のことなのだが、わが子に聞いても「そんなの知らない」と言う。ちょうど1900年、明治33年5月のことである。信じられないくらいの大ヒットだった。で、聴きたい人はこちらで聴いてもらえればありがたい。

 それはさておき、その「鉄道唱歌」の人気に便乗して、その年には早速、よく似た「鉄道唱歌」と称する者が何種類か出たし、『○○唱歌』と題した唱歌本が雨後の竹の子のように登場した。それを僕は「なんちゃら唱歌」と呼んでいる。「鉄道唱歌」は駅名とそれにまつわるエピソードを次々詠み込んでいくので、地理教育と称した。同様に歴史教育であるとか、東京、岡山、京都といった地域限定の歌本も出た。さらに鉄道の次は『航海唱歌』であったり、日本を飛び出して『世界唱歌』というようなものも次々と発行されたのである。

 時が経つと『衛生唱歌』(こちらも『校則なんて大嫌い!』に「健康は忠儀の証か、子どもの権利か」として書いた)とか、『公徳唱歌』『修身唱歌』『日本文典唱歌』『勤倹貯蓄豊年唱歌』『ねずみ唱歌』などといろんなものが歌本として世に出た。単純なメロディに載せていろんな知識や事柄を口ずさめるので「(暗誦させる)教育には都合がいい」と思われたのだろうか。現在、250種類くらいの『なんたら唱歌』を確認している。

 『地理教育 鉄道唱歌』が一世を風靡して3年、今度は日露関係がやばくなってきた。東京帝国大学の戸水寛人教授ら7人の大学教授が日露開戦の建白書を提出して、物議を醸し、戸水教授が休職処分を喰らった。七博士事件もしくは戸水事件として大学の自治や学問の自由を語る時に引き合いに出される事件である。機会があれば紹介してもいい。少なくとも日露関係の悪化にともなって、『なんちゃら唱歌』にも戦争の影がちらついてきた。

 その名もズバリ『戦争唱歌』は最初の『鉄道唱歌』作者である大和田建樹の作詞、田村虎蔵作曲のものである。明治36年11月10日刊行。まさに日露戦争開戦前夜であった。


   戦争唱歌

 1 矛を枕に国民が
    むすぶ仮寝の夜半の夢
   嵐となりて吹きめぐる
    その勢の勇ましさ


 2 無礼攻むべし懲らすべし
    われら同胞四千万
   一つ喉より発したる
    声は天地に響きけり

 8 我東洋を蹂躙し
    我国権を軽蔑し
   あくまで誇る無礼国
    平和の敵は彼なるぞ

16 隊伍たゞしく威儀たけく
    向ふ矢先に敵ほろび
   シベリヤ鉄道占領し
    今は乗り込む欧羅巴


19 こだまにかへす勝どきの
    声は四海にみちみちて
   ウラルの山の峰までも
    北氷洋の底までも

 こんな感じで20番まである。歌詞を見る限りこの戦争は勝つつもり、そして、ロシアを占領してしまおうというまさに意気軒昂な歌詞となっている。詳細はこちらをどうぞ。曲も聴くことができます。

 そして、戦争が始まると、『日露開戦軍歌』『討露軍歌』『国民唱歌 日本陸軍』『帝国軍艦唱歌』『日露戦争戦捷唱歌』『旅順攻撃七十七士唱歌』『日露戦争国民唱歌 1編・2編』『紀念唱歌 戦捷之海軍』『陸海凱旋 紀念唱歌』などの歌本が出版された。開戦から凱旋まで随時戦況を見ながら歌本は作られていった。

 言うならば、戦争に託(かこつ)けて教育の名を騙った歌本だ。手元にある『国民唱歌 日本陸軍』『陸海凱旋 紀念唱歌』はいずれも「文部省検定済」と記されている。軍事史に詳しい福岡大学の勝山吉章教授は『国民唱歌 日本陸軍』がかねてよりの愛唱歌のひとつであったと言い、勝山教授からこの歌がレコード化されていることをご教示いただいた。youtubeで視聴できるので、お試しくだされ。タイトルも『軍歌 日本陸軍(天に代りて不義を討つ)』だ。タイトル、というより冒頭の一節だが、「天に代りて不義を討つ」とはよく言ったもので、戦争は単純な勧善懲悪のストーリーではない。第1回でロシア-ウクライナ戦争と日中戦争はまったく構図が同じことを紹介したが、当時の中国に対して日本は攻撃を「膺懲」(懲らしめる)と唱えていた。日露戦争の時も「不義を討つ」と断じて、正義の味方然としていた。たとえば『日露開戦軍歌』ではこうなる。

 六、露西亜討つべし懲らすべし 他国の針路を妨げて

   利己の奸智を打ちふるふ  敵は世界の仇なるぞ

一四、彼は平和の敵なるぞ   我東洋の仇なるぞ

   討つべき時に討たずして 悔を子孫に遺すなよ

一五、我に正義の軍あり    奸獰邪悪の輩(ともがら)を

   討ちて懲らして東洋の  平和を守るは国の責

 『討露軍歌』になると更にすごい。( )内は新谷による現代語訳

之れに反する敵国の   其有様は皆知らん(日本はいい国なのに対してロシアはどうか)

詐り偽るを常として   他国の領地を掠取り(嘘つきは当たり前、人のものは掠め取る)

咎なき家を焼き払ひ   罪なき人を撃殺し(民家を焼き払い、罪なき人を撃ち殺す)

逃る婦女子を辱しめ   乳に泣小児を刺殺し(逃げる女性をレイプし、乳児を刺し殺す)

凶悪暴戻神人の     供に許さぬスラヴ人(神も人も赦さない程凶悪なのがスラブ人)

国は広きも荒野原    人は多きも烏合勢(国は広いが荒野原、人は多いが屑ばかり)

一億半余の人口も    六十有余の異人種ぞ(一億半の人口も多民族国家)

直隷平野の戦に     進み兼たる卑怯者(国内線なのにびびる卑怯者)

と悪口雑言の尽きるところがない。ま、ヘイトスピーチのはしりみたいなものだろう。そして国民もそれを信じ、熱狂していた。たぶん今のロシアも同じようなことを言っているのだろう。 

 音楽は人心を高ぶらせるにはいいツールだ。この当時の音楽は現在の音楽とはちがう。当時の唱歌は今で言えばメディアであった。テレビはおろかラジオもない時代、唱歌は学校で歌われ、演歌は街角で歌われ、文字以外の情報として国民を捉えていたからである。そして、このメディアを通して、「敵」を定め、「悪口」を言い、日本が「正義の味方」であるかのごとき立ち位置を国民に示す。最後は「罵詈雑言=ヘイトスピーチ」だ。見たこともない人たちの人格まで否定していく。だから普通の国民が戦争になると、「敵」=人を殺すことができるし、人殺しを喝采することができるのだ。

 ところで、文部省も『戦争唱歌』という冊子を編纂していた。

 こちらは明治37年11月13日発行。内容は「ロシヤ征討の歌」「第一回旅順口攻撃及び仁川沖海戦の歌」「第四回旅順口攻撃の歌」「第七回旅順口攻撃の歌」「九連城占領の歌」「閉塞隊の歌」「南山占領の歌」「得利寺附近戦争の歌」「旅順港外海戦の歌」の9曲が収められた唱歌集だ。開戦以来の戦況を国民に報告するような編制になっている。学校を通して戦争情報を定着させようというものだったのだろう。



 
 

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