第17回 無批判に覚えるということ

 おもしろい冊子がある。『学習便覧 知識の宝庫』というスマホサイズの小冊子、昭和2年の刊行だ。「物知り博士の虎の巻!」「一冊で小学全科が分る!」と銘打ってあるのが興味をそそるだろう。

 で、どんな冊子なのだろうか。判型はスマホサイズ、230頁(8㎜)ほどの胸ポケットにも入りそうな本である。
 内容はまず皇室〔天皇とその妻子〕、朝鮮王公族〔朝鮮を併合しているのでそういうことになる〕、その次に皇族〔秩父宮、高松宮といったおなじみの宮家の面々〕の名簿があり、その後に「はしがき」があって、この小冊子の趣旨が書いてある。
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 本書は小学校尋常高等の全科目の越幾斯(エキス)であります。即ち各学科の精髄を抽き出したものですありますから、この書一冊だけあれば、小学校の各学科を一目で知ることが出来て、小学児童のために有益であるのみならず、御家庭に於て御子様方の勉強の御指導をなさるのに至極便利かと信じます。其れに本書は、特に日常生活に必要な事項を摘記してありますから、実生活にも直ちにご利用できます。・・・・・・(以下略)
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 構成は
○修身    ○国語    ○地理    ○国史
○理科    ○技能    ○雑     ○算術
○商業    ○英語
となっている。よくわからないものとして「技能」。この中身は「音楽調名」「楽譜記号の名称」「発相記号」「速度記号」「剣道の流名と流祖」「柔道乱捕の業と流名」「各種競技レコード一覧」「裁縫積り方公式」「手工の種類」となっている。
 「発相記号」「速度記号」とはピアニッシモとか、カンタビレ、アンダンテとかいう音楽のナニだ。ご理解いただきたい。剣道や柔道の情報はよしとして、「各種競技」とは陸上競技と競泳の世界記録と日本記録の一覧だ。「裁縫積リ方公式」は裁縫の時の約束事みたいだ(僕にはよくわからない)。たとえば本裁肌襦袢は袖丈×2+身丈×4+衿丈=總用布というやつのようだ。
 ということで、「技能」には音楽、体育、裁縫、技術などの基礎知識が並んでいる。
 「雑」に書かれているのは、「書籍の寸法」「活字の大小」「月齢」「薬になる野菜」とまさに「雑」な知識だ。「月齢」にはたとえば十二月(師走)には「季節」として「○大雪」「○冬至」とあり、「行事」としてたとえば「○十日 納めの金刀比羅」「○廿五日 大正天皇祭・学校の冬期休業・クリスマス」「○三十一日 大祓・除夜 家族うち寄りて酒を酌み、蕎麦を食し、福茶を飲む。夜十二時より諸所の寺院にて百八の鐘を撞く」などとていねいな行事の説明がある。まさに「雑」だ。
 で、教科だが、最初は「修身」。内容はまずは「御製御歌」、明治天皇の和歌の作品が36首並び、次いで昭憲皇太后の歌が3首、そして順徳天皇、後宇多天皇、後醍醐天皇、桜町天皇の宇多が1首宛載っている。「格言俚諺」には「艱難汝ヲ玉ニス」とか「義ヲ見テセザルハ勇ナキナリ」「人事ヲ尽シテ天明ヲ待ツ」といった定番の格言から、「快楽ノ世界ハ要スルニ妻ニ存ス」とか「樹静カナラント欲スレドモ風止マズ子養ハント欲スレドモ親待タズ」など僕は初めて聞く含蓄のあることわざが載っている。これは役に立ちそう。そして、「修身書に出でたる歌」と「修身書に現れた人物」であるが、これらは試験対策の暗記物になる。
 「国語」も漢字、略字、送りかな等の基礎知識なんかが載っている。短歌を趣味としている僕は「字音仮名遣」と「国語仮名遣」の一覧が役に立った。「字音仮名遣」とは「い」と「ゐ」にはどの漢字があたるかというものであり、「国語仮名遣」は「い」と「ゐ」はどのように使い分けるかというものである。文語で文章を読んだり書いたりする人にはとても役に立つ。
 「地理」ならば国内外の地理データ、「理科」ならば知っておくべき知識、たとえば節足動物にはどんなのがいるかみたいな知識の一覧が載っている。
 すべてを紹介していくと楽しくてしょうがないが、また長いと退屈させてしまうのでこのくらいにしておく。要は手帳サイズの一冊に小学校で学ぶ「正解」が詰め込まれているということである。なので、学習にも便利だし、確かに実用にも役立つし、実際に役立った。
 しかし、それらの「正解」だけ覚えて学びになるだろうか。「幼」や「葉」を平仮名で書くと、「よう」か、「えう」か、「えふ」か、「やう」か、悩んだ時にこの冊子を開くと一目瞭然。そういう使い方はできるし、便利だ。「日本で一番高い山は・・・新高山!ですが、二番目に高い山は何という山でしょう。(昭和2年段階)」みたいなクイズを作るのにも便利かもしれない。歴代天皇の名前をこの頃の小学生はそらんじていたが、それもこの冊子に書かれている。
 そうしたことから何を学ぶというのか。歴代天皇の名をともかく暗誦する。歴代天皇の名というのは天皇研究の出発であり、成果でもあります。神武天皇から始まって現在の天皇まで続いてきたとする経緯や議論はどうでもよくて、歴代天皇の一覧というデータが真実だと提示されることですから、そのことが何かを学ぶことになったのかと言えば、「無批判に無意味作業を受け入れる」ことであり、それは無批判に天皇制を信仰することになったのです。とある幼稚園が園児に教育勅語を暗誦させていたことはまだ記憶にあると思う。暗誦の目的は「無批判」である。『学習便覧 知識の宝庫』が示しているのは提示された知識に至る経緯はどうでもよくて、それらを無批判に受け入れる知識観である。
 無意味なものを無批判に覚えることには意味がある。僕は中学生の時、円周率をたぶん小数点以下100桁くらい暗記したことがある。いわば自分の記憶力を試してみたのだ。それは円周率というものを無批判に受け入れての暗誦だ。だから円周率は3.14だとか、3でやってもいいとかいう見解にはせっかく覚えた立場として腹が立った。歴代天皇の名前もそうだろうし、教育勅語の暗誦もそうだろう。無批判に受け入れて暗誦しているから、それそのものは絶対的に正しいものと信じるから暗誦できるというものだ。これが乱数表のような無意味な文字列だったら暗誦した数字に正義も大義も感じることはない。何の役にも立たないようだけれど、実は暗誦には意味があったということになる。
 結果だけを無批判に受け入れる暗誦という学びでは「世の中の様子、人物の働きや代表的な文化遺産などに着目して、我が国の歴史上の主な事象を捉え、我が国の歴史の展開を考えるとともに、歴史を学ぶ意味を考え、表現する」という「思考力、判断力、表現力等」(『学習指導要領』2017)が身につくはずはない。
 それでは九九を暗誦させることはいけないのか。そうではない。かけ算の意味を十分理解した上でこの段階での数学の絶対的真理を受け入れさせることは小学校二年では必要なことだろう。兵士が軍人勅諭を暗誦するのと同じように、だ。 
 ちなみに『学習便覧 知識の宝庫』の「国史」では「天皇御略系」「支那帝王略系」「欧洲五箇国の帝王略系」「四個の共和国」「歴代帝都表」「物事のはじまり」の六項目からなる。これだけ覚えれば小学校国史は大丈夫ということのようだ。
 この中で、「物事のはじまり」はやや趣向がちがう。【和歌の始】【手拍のはじめ】【相撲の始】【寺の始】【沢庵の始】とトリビアな初めて物語が並べられていておもしろい。しかし、何の役にも立ちそうにない知識で小学校全科の知識というのでは時間をかけて教えた教師の努力は何だったのだろうか、と考え込んでしまう。ただ、これは楽しい。楽しいけれど、そうしたトリビアなエピソードが正しいかどうかの批判力は求められず、この本に書いてあったから信じる、という知識への向き合い方を育てるものだと言えるだろう。今風にいえば、Yahoo知恵袋に書いてあったから信じるということと同じだ。と言っても、Yahoo知恵袋を信じている人がこれを読んでも意味不明だろうけれど。
 つまり、世の中にさまざまな情報が飛び交ってもすべて真に受けて信じてしまう人間がつくられていく。迷信であっても、流言飛語であっても、暴言であっても、体罰であっても、教育的効果はある。即ち、善も悪も、是も非も、右も左も、言われたことはなんでも無批判に受け入れてしまう人づくりには役立つのだ。


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