第19回 戦争の落とし前はつけたのか~勇気ある平和国家の志を考えよう

  沖縄に行ってきました。福岡県人権研究所では海外人権スタディ・ツアーというのをずっとやってきています。韓国、ベトナム、タイなど外国に旅して人権問題を考えるという企画ツアーです。けっこう人気があり、リピーターも多いと聞いていましたが、コロナ禍で3年程お休みしていました。
 コロナ・ウィルス対策政策も方向が変わり、多少の旅行は逆に推進されるようにもなってきたので、再開することにしました。とは言え、外国旅行はまだちょっと不安ということもあり、福岡から見れば「海外」ではある沖縄旅行が計画されました。で、ワタクシは大好きな沖縄ということもあり、この企画に参加することにした次第です。但し、一会員として。。。
 「一会員として」と言って逃げたのは部会長さんには申し訳なかったかとも思いますが、そこはお赦しください。
 沖縄には何度も言ってますし、戦跡も住民が避難していたという洞(ガマ)もけっこう見てきてはいますが、今回は人との出会いが大きかった。詳しくはツアーの報告書も作ることになっているし、ここでは触れないで起きます。ただ、今回のツアーも若い現職の方が少なかった。せっかくいい出会いがあっても、平和教育や人権教育に活用する広がりがないと次の世代に継承されないしね。
 チビチリガマとシムクガマを案内してくれたのはあの知花昌一さんの息子さんだった。知花さんも戦後生まれだから、戦争を知った世代からすれば三代目になるということで、戦争体験の継承ということも大きな課題なのだろう。何度も言ってきたことだけれど、戦後78年目に入る。戦争はもはや歴史になりつつある。ただ、沖縄は歴史が米軍基地として現在に繋がっている。いい企画で、いいツアーだった。

 さて、沖縄から帰ってきてほどない1月13日に訪米中の岸田首相はバイデン大統領と会談し、日米共同声明を発表した。その中でロシアについて触れた箇所がある
--------------------------------------------------------------------------------------
・・・我々は、ロシアのウクライナに対する不当かつ残虐な侵略戦争に断固として反対することで一致している。我々は、引き続きロシアに対する制裁を実施し、ウクライナに対する揺るぎない支援を提供していく。我々は、ロシアによるウクライナでのいかなる核兵器の使用も、人類に対する敵対行為であり、決して正当化され得ないことを明確に述べる。
(外務省仮訳)
-------------------------------------------------------------------------------------
 この文章に対してメドベージェフロシア安全保障会議副議長(元大統領)はこの声明を非難し、岸田首相には閣議で切腹して恥をそそげとまで言い放った。その理由は何か。核兵器を人間相手に使用した唯一の国はアメリカであり、被害を受けたのは日本である。そのことを岸田首相は無視し、バイデン大統領に謝罪も求めなかった。それは広島と長崎の被ばく者への裏切りであり、とてつもない恥だから切腹に値するというようなことらしい。(「西日本新聞」20230115 共同通信提供)
 メドベージェフ氏のこの非難はある意味至極まっとうである。かつてオバマ大統領が広島を訪れたとき「Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
71年前の雲のない晴れた朝、死が空から降りてきた。そして世界が変わった。閃光と火の壁が都市を破壊し、人類が自らを破壊する手段を持っていることを証明してみせた。)」と語ったのを僕は覚えている。オバマ大統領はアメリカの責任については何も触れず、他人事のようにdeath fell from the sky(死が空から降ってきた)と述べたのである。あれは降ってきたのではなく、アメリカの飛行機から広島市民の上に落としたものではなかったか。
 沖縄で人々が隠れていた洞(ガマ)を見た。そこで多くの人が死ななくてもいい死に至った。その上にいま米軍基地がある。米軍は謝ることなくそこに居続けている。日本政府も謝ることなく今も沖縄県民に「戦争」をこすりつけている。そして、基地という現実がそこに見えている。
 岸田首相は広島選出の国会議員である。当然核についての見識は持っているはずだろうし、そうでなくては広島出身の政治家などは務まるはずはないと思う、常識として。なので、岸田首相は核兵器について本を書いている。なんと、題して『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』(日経BP)である。
  
 さすがに広島選出の政治家だけある立派なタイトルの本だ。内容は、つまり「勇気ある平和国家の志」とは何か。気にかかるところだ。
 目次のタイトルだけ見てみよう。
  第一章 故郷・広島への想い
  第二章 保守本流の矜持
  第三章 核廃絶のリアリズム
  第四章 核の傘と非核三原則
  第五章 岸田イニシアティブ
 なんかいいことが書いてありそうな気がする。「第一章 故郷・広島への想い」では彼と「故郷・広島」の話は何も書いていない。なぜならば、書くことがないからだ。岸田氏の父親が広島県の出身の通産省の官僚だった。で、彼は東京で生まれ、父親の転勤で6才から3年間アメリカで暮らし、帰国後は〔麹町中学-開成高校-早稲田大学〕と東京で育っている。広島は「故郷」ではなく「選挙区」なのだ。それが悪いということではない。選挙区を地元と心得、選挙区の地域に学び、選挙区の声を拾い上げるというのならばそれでいい。しかし、それは「故郷」ではない。
 むしろ、彼は3年間の在米生活を重視している。
--------------------------------------------------------------------------------
 戦時中、米国は日本にとって「敵国」であり、広島に原爆を投下した当事国でもあります。しかし、幼かった当時の私にとって、米国は大らかで多様性に満ち、活気に溢れた国というイメージが全てでした。こうした経験が「親米・リベラル保守」とされる私の政治姿勢・信条に、少なからず影響を与えていることは間違いないと思います。
   --------------------------------------------------------------------------------
 人間が思想的に成長をする青年期に日本とアメリカ、原爆と広島について何も考えたことはなく、幼児体験でのアメリカイメージで政治姿勢・信条を形成したとは選挙区である広島県民に対する背信ではないだろうか。この章ではオバマ大統領の広島訪問について書かれている。このとき外務省内部での不安は原爆投下という過ちをアメリカが謝罪する機会と捉えられ、それがアメリカ国内での反発を招くのではないかという危惧である。そうした懸念に対して岸田外務大臣(当時)は「(外務)省内でこう力説しました」と言う。
   --------------------------------------------------------------------------------
「広島の市民の多くは『謝って欲しい』とは言っていない。そうではなく、あの悲劇を繰り返してはならない。核廃絶を最大の核保有国である米国の現職大統領に訴えて欲しい。未来に向けて、『核のない世界』を目指すための一歩として是非、オバマ大統領による訪問を実現させて欲しい」
   --------------------------------------------------------------------------------
 ほんとうにそうなのだろうか。広島で育っていない、アメリカで3年暮らして親米派になった人物が「広島の市民の多く」の気持を代弁できたと思っているのだろうか。
 「第二章 保守本流の矜持」では「当面、憲法第九条を変えることは考えない」と自身が宏池会の研修会で発言したそうである。ところが安倍首相が九条を変えると言ったとき、それを「許容範囲内」であると定義し直したことを自慢として書いている。これもまた普通は「広島県民に対する裏切り」というのではないだろうか。
 次はいよいよ「第三章 核廃絶のリアリズム」である。岸田氏はどういうリアリズムを提示してくれたのだろうか。


コメント

このブログの人気の投稿

第25回 してはならぬ二十箇条

第22回 『破戒』を見よう

第23回 校則を無くしたらどうなるの?